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東京地方裁判所 昭和33年(タ)161号 判決

原告 庄野正典

被告 正野良子

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一、甲第一号証(戸籍謄本)原告の本人尋問の結果によれば原告と被告とは昭和十八年五月二日事実上の夫婦となり、同年五月十三日届出により婚姻をなし、そして両人の間に同十九年五月一日長女弘子が出生した事実が明白である。

二、乙第一号証(判決正本)、原告及び被告の各本人尋問の結果を併せると原告は昭和二十二年中被告を相手方として東京地方裁判所に悪意の遺棄及び婚姻を継続し難い重大な事由があることを原因として離婚の訴を提起し、同訴訟は同庁昭和二十二年(タ)第一二二号として係属した。そして同裁判所は審理の結果同二十四年三月十四日原告の請求を棄却する旨の判決を言渡し、同判決は原告が上訴をしなかつたので上訴期間の経過により確定した事実を認めることができる。

三、そこで先ず原告の被告は悪意を以つて配偶者である原告を遺棄したとの主張について判断する。ところで原告はその主張事実において被告は頑固な性格であるため同居の原告の母ゆきとの間に円満を欠き、長女を姙娠して間もない頃から幾度となく実家に逃げ皈つたので原告はしばしば迎えに出向いて被告を連れ戻していたが、昭和十九年中実家に皈つたまま原告の許に立寄らないので、原告は仲介などを介して再三復皈すべきことを勧告し或は要請したが、被告がこれを拒否して原告の要請に応ぜず悪意の遺棄を継続した。

よつて、原告は同二十二年中東京地方裁判所に対し被告を相手方にして離婚請求の訴訟を提起したが、同二十四年三月十四日原告の敗訴の判決が言渡され、該判決は原告が上訴しなかつたため確定した旨主張するが、この点に関する部分は前記確定判決の効力により原告としては一般手続によつては再び主張し得ないところであり、当裁判所としても再び判断することを許されないところのものである。よつてその後における原告主張の事実を検討する。原告は前記訴訟の進行中被告は原告及び担当裁判官に対して「絶対に原告とは別れません。庄野方に皈ります。」と明言して原告の許に立戻ることを確約し、原告も亦被告を迎え入れる意思を表明したのであつたが、被告は前記離婚訴訟の判決が確定するやその態度を一変し、同二十五年三月末までの間約一年間に亘り仲人川村花菱夫人の復皈の懇請を一蹴し且つ被告が前記確約を実行して原告の許に立戻ることを期待していたのにも拘らず、その期待を完全に裏切つて原告が当時病父を擁して不自由且つ寂寥の家庭生活を明け暮らしていた状態を顧みず、直ちに原告の許に復皈すべきであり、原告がそれを希求していることを知悉しながら引続き長女弘子と共に実家に留まつたまま自活し、更に原告に対しては一回の挨拶もせず又一片の音信を寄せることもせずに原告を放置し、以つて正当の理由なくして夫婦生活の根幹である原告との同居の義務並びに協力扶助の義務に背反している旨主張するが、原告並びに被告の各本人尋問の結果によれば、被告は前記判決の後においても引続き原告と同居しないで現在に至つて居り、且つ美容師として自活していること及び前記訴訟の進行中被告は原告等に「絶対に別れない。庄野方に皈る。」と言明していたことは認められるが、その他の事実を認めるに足りる的確な証拠はない。民法第七百七十条第一項第二号に掲げられた離婚原因たる悪意の遺棄とは夫婦生活を行わないという意思を以つて配偶者との夫婦生活を回避することである。本件について被告が昭和二十四年三月十四日東京地方裁判所において前記判決の言渡された後も従前のとおり原告の許を離れたまま原告の許に立戻つて同居生活を行わず、そして自活していることは前記認定のとおりであるが、何故にかかる状態が継続して行われているのか、しかもそしてその事実が前示悪意の遺棄に該当するのであろうかどうかについて考えると証人上山敬正、同金井シゲ、同村松和子及び同鈴木澄子の証言並びに原告被告の各本人尋問の結果を総合して考察すれば、原告が提起した前記地方裁判所昭和二十二年(タ)一二二号離婚訴訟事件につき昭和二十四年三月十四日同庁において原告の請求を棄却する旨の判決が言渡され、そのまま確定したにも拘らず、被告に対し一回だに原告の許に復皈して同居生活を継続することを要求又は懇請したこともなく、又積極的に同居生活を実現する何等かの試みや企てを採つたこともなく、被告がその実家に身を寄せているのに乗じて被告を放置したままにして居り、しかも昭和二十五年初頃から訴外深山侑子と知り合い同年夏頃から自宅において同人と同棲生活を営んで現在に至つている。一方被告は右判決の言渡後数回に亘り原告方に立ち戻つて原告との同居生活を維持し継続するため復皈を懇請する目的を以つて或る時は長女弘子を伴い、或る時は親戚の鈴木澄子と同道して原告の実家に出向き原告又はその父母等に面会したが、原告及びその父母等から努めて問題が原告の復皈に関する話合に触れることを避ける態度に出られたので、被告としては全くとりつく術もなく、殊に或る時の訪問に際しては座敷に通されることもなく原告の父から強く叱られて、いわゆる玄関払いを食わされたこともあつたりしたため、その後は原告との同居生活実現への積極的行動に出ることを控えるようになり且つ、後記家事調停及びこれに基く強制執行の外は殆ど原告と被告との間に生活上の交渉もなく、疎遠の状態になつていたとはいうものの、被告としては依然として原告に対する夫婦の愛情を抱き続け、且つ原告との夫婦生活の維持及び継続を念願しながら前記判決前より自活するため勤務していた雑誌出版業のひまわり社に勤務し、その後美容師となつて現在独立営業をして長女弘子と共に自活していること更にその上原告が訴外深山侑子と同棲していることが被告をして原告との同居生活を実現することに一層の困難をもたらしている事実を認めることができる。そして右認定を妨げる証拠はない。右認定の事実に徴すれば被告は未だに原告に対する愛情を抱き、夫婦生活を維持継続することを念願しているのであるから原告としても夫婦生活の本質として同居の義務があるのであつてみれば原告の側からも被告をして原告との同居生活を容易ならしめるような手段方法を講じたならば夫婦としての協同生活を維持することはさして困難ではなかつたであろう、しかるに原告はかくすべきであつたのに何等そのような行動に出たことはなく、却つて成行にまかせて被告を放置したままにしていたこと、被告が復皈を望んで数回に亘つて原告及びその父母を訪問したのであるがその都度その話合に触れることを避ける風の態度に出られたことなどから被告が夫婦同居生活の実現に積極性を欠くに至つた観があり、それに加えて原告が他の女性との同棲生活をしているため被告が原告との同居生活を具現するにつき一層困難な条件が加わつてしまつたのである。しかし、決して被告において原告との夫婦生活を行わないという意思を以つて原告と夫婦生活を行うことを回避しているのではないということが明かであるから、被告の右所為は民法第七百七十条第一項第二号に掲げられた離婚原因たる悪意の遺棄には該当しないと解するので、原告の被告に対する悪意の遺棄を原因とする離婚の請求はその理由がないから、これを認容することはできない。

四、次に原告の原告と被告との婚姻はこれを継続しがたい重大な事由があるからこれに基いて離婚を求めるとの主張について判断をする。

先ず原告はその事由として被告は頑固な性格であり、原告に対し悪意の遺棄を継続していたのであるが、それにも拘らず原告はなお被告の復皈を欲して病父老母を抱えての不自由且つ孤独の生活に耐えていたのである。しかるに被告は依然として実父の家に居住し殆ど原告とは音信不通の状態にあつて全く原告を顧みず、原告とは全然別個に、そして独立して美容師として生活しているので、原告と被告との夫婦関係は事実上他人同様の間柄となり、原告は引続き孤独且つ不自由な生活を続けることを余儀なくされた。かくして判決後二年余を経過しても被告の復皈の実現を得ることができず、且つその徴候すら認めることができない情況にあつたため裁判前の状態をも顧慮し被告には最早原告との夫婦生活を継続する意思がないものとの結論に到達せざるを得なくなつたのと同時に原告も亦被告に対する愛情を失うに至り、これがため原告は被告の復皈を断念し、被告との婚姻生活を持続する意思を放棄せざるを得なかつた。かかる折柄原告は昭和二十五年三月末頃原告の家庭の寂寥な状態を見兼ねた友人の勧めに従い訴外深山侑子を迎えて事実上夫婦生活を営むこととなつた。そして現在同人との間に二人の子女が出生している。一方被告は原告が深山侑子と同棲生活をしている事実を知りながら原告等に対し何等の抗議その他の意思表示を行わず、又これを阻止妨害する態度にも出でず、依然音信不通のままに過ごしている。このことは被告が原告に対する夫婦の愛情がなく、且つ原告との婚姻関係を継続する意思を喪失していることを如実に示しているものであつて、いわば被告は自ら妻としての地位と権利とを放擲したものというべきであると主張する。被告が頑固な性格の持主であることを認める証拠はなく、被告が現在まで引続き原告と別居生活を継続して居り、しかも両者が殆ど夫婦生活上の交渉を持たず、疎遠の間柄になつていること、被告は美容師として独立して原告と関係なく生活していること、そしてその被告が原告と同居生活をしていないことが原告を悪意を以つて遺棄したことに該当しないこと及び原告が現在訴外深山侑子と同棲生活をしていることは前記認定のとおりであり、原告本人尋問の結果によれば原告は前記訴訟事件の進行中から病気の父を抱えて居り、その後その父が死亡したので、原告家の家政を担当するようになり、そのため一層被告を顧みる気持もなく、従つて被告に対し原告の許に復皈することを求めたことも一回だになかつたことが明かであつてこの事実と前記認定に係る事実とを併せ考えれば当時原告と被告との間において配偶者を顧みなかつたのは寧ろ原告であつて、被告ではなかつたことが認められ、当時原告が孤独不自由な生活を送つたとしても、それは自ら招いたところであつて決して被告の所為によつてそのような生活を余儀なくせしめられたものとはいい得ないところである。又原告は被告には原告との夫婦生活を継続する意思がないものと結論に到達せざるを得なくなつたのと同時に原告も亦被告に対する愛情を失うに至り、これがため原告は被告の復皈を断念し、被告との婚姻生活を持続する意思を放棄せざるを得なかつたというが、当時原告が被告において原告との婚姻生活を継続する意思を喪失したとの結論を観取するを得ざるに至つた客観性を有する事実を認める証左は何もなく、従つて原告が被告に対する愛情を失い被告の復皈を断念し、被告との婚姻を継続する意思を放棄したとすればそれは原告の恣意に基くものと認めるの他はない。何となれば原告は前記裁判言渡の後において被告に対し夫婦としての協同生活を継続することにつき何等の働きかけをしたこともなく、極端にいえば原告は意識的に被告の復皈問題を回避し、且つ被告に対し一顧だに与えずして放置し、そればかりでなく裁判後一年そこそこの間に訴外深山侑子と男女関係を結ぶに至つた事実に徴すれば右深山侑子と親密な関係を生じたればこそ、被告に対する愛情を喪失し、被告との婚姻を継続する意思を欠如するに至つたものである。と推測せざるを得ないからである。原告は深山侑子との関係は知人の勧によるものであるというけれども、これを肯認する証拠はない。更に原告は被告において原告が深山侑子と同棲している事実を知りながら、原告等に対し何等の抗議その他の意思表示も行わず、又これを阻止し妨害する態度にも出でず依然音信不通のままに過ごしていることは、被告が原告に対する愛情がなく、且つ原告との婚姻関係を継続する意思を喪失していることを如実に示しているものであつて、いわば被告は自ら妻としての地位と権利を放擲したものというべきであるというけれども、配偶者の不貞行為により被害者の立場に在る他の配偶者はその不貞の所為に出た配偶者又はその相手方に対し抗議その他の意思表示を行わなければならない理由はなく、又これを阻止し或は妨害しなければならない筋合のものでもなく、かかる挙に出ないからとてこれを以つて配偶者たる地位や権利を放擲したとみ做す訳にはいかない。況んや被告は未だ原告に対する愛情を持続し、原告との夫婦生活の実現化を望んでいることは前記認定のとおりであつて見れば、事実としても被告に妻たる地位や権利を放棄したというが如き事実がないものというべきである。

更に原告は被告が昭和二十九年原告を相手方として、東京家庭裁判所に被告に対する生活費の請求の調停を申立てたので、当時原告は勤務外の収入が若干あつたから、その請求に応じ、同年七月二十六日被告に対し長女弘子の養育費として同年八月から右弘子が成年に達するまで一ヶ月金六千円ずつ支払う旨の調停が成立し、原告はこれに基いて引続き五ヶ月分右養育費の支払をしたのであるが、その後右副収入の途を失つて勤務先からの収入だけに依存して生計を立てなければならなくなつたのと当時失業中の弟二人及びその家族を原告方に寄食させざるを得ない事態に立ち至り、更に昭和三十年五月には長年病臥していた父を失つたなどの事情から生活に窮し、そのためその後の支払を怠つたところ、被告は同三十一年十月末頃一回の督促もせずに突如原告の給料債権の差押及び取立の強制執行を敢行し、しかも給料支給日に自ら取立のため原告の勤務会社に現われたことも再三であつた。当時被告は相当の収入を得ていたのであるから、原告が右養育費の支払を数回怠つたからとてそれがため直ちに生活に窮するはずはないので、かかる所業は被告の原告に対する愛情を欠如したものであり、若し被告に原告に対する夫婦の愛情があるならば原告に恥をかかせ、且つ原告を痛憤せしめるであろうことは当然予測し得るところであるのに、敢えて右の所為に出でたが如きは夫婦関係を継続する意思がないものであつて、これによつても原告と被告との間には婚姻を継続しがたいまでに夫婦関係は破綻している旨主張するので、この点につき審按する。原告及び被告の本人尋問の結果によれば被告が昭和二十九年中原告を相手方として生活費請求の調停を家庭裁判所に申立て、同年七月原告から被告に対し両人間の長女弘子の養育費として毎月金六千円ずつ支払うことの調停が成立し、原告は一時その支払をしたが、その後弟及びその家族を原告方に寄食させ、そのため一時は九人の家族等を抱えて生活に追われ、そのため心ならずも被告に右養育費の支払を滞つたところ、被告は約一年に亘り原告の給料債権の差押を行つた。これがため原告は勤務先の上司同僚に恥かしい思をした事実を認めることができるが、その余の事実を認める証拠はない。一面証人金井シゲの証言及び原告本人尋問の結果によれば被告も右強制執行を行つた当時、長女弘子を抱えて自活していたので、経済的に余裕のない生活をしていた事実及び強制執行をするに先立つてその支払を求めた事実を認めることができる。

そこで夫婦間における訴訟行為、強制執行行為が民法第七百七十条第一項第五号に定められた婚姻を継続しがたい重大な事由に該当するかどうかについて考えてみる。夫婦間に訴訟、或は強制執行が存在するからとて、そのこと自体だけでこれが直ちに、しかも必ず右規定に該当する事由となるとは解することはできないと思う。何となればかかる行為が執られる場合それが正当な権利の行使であり、社会的にも一般に非難せらるべきものでないようなときには、夫婦間といえどもその行為は許さるべきものであること勿論である。けだし夫婦の間においてといえども正当な権利行使である以上これをはばまれ、妨げられ或は非難せられるべき理由はないからである。これに反して、配偶者を意識的に困惑せしめることを目的とするとか、殊更に誹謗することを目的とするとか、その他社会的に非難せられるような理由でかかる行為に出でたものであるときの如き場合にはそのこと自体が直ちに右法条に定める事由に該当すると解する。けだしかかる場合に概ね配偶者に対する重大な侮辱行為となるものであるからである。もつとも通常夫婦間において訴訟或は強制執行の事態が存するが如き場合は既にこれに先だつて夫婦間の親和が極度に破壊されていることが多いであろうから、夫婦間に訴訟又は強制執行が行われる場合には概して右法条に該当するものであろうことはこれを肯認するにかたくないところである。そこで本件について検討してみると、被告が実行した右強制執行が意識的に原告を困惑せしめる目的を以つて、或は誹謗する目的を以つてとか、その他社会的に非難せられるべき意図を以つて行われたものであると認められるような証拠はなく、却て、被告の当時の経済状態は前記認定のとおりであつたので、かかる状況からすれば被告の執つた右強制執行行為は当時已むを得ざる事情の下に出でた措置と推認するので、従つて正当な権利行使に属するものと認むべきであるから、そのこと自体だけでは未だ民法第七百七十条第一項第五号の定める事由に該当するとして採用することはできない。

以上三項及び四項において認定した事実を通覧すれば原告と被告とは既に十数年の長き歳月を別居生活の裡に過ごし、その間夫婦らしき協同生活を味わうことなき間柄となつて居り、原告は他の女性と同棲生活を営み、その女性との間に子まで挙げて居り、一面被告は原告に対し強制執行行為という夫婦として好ましからざる所為に出で、原告を刺激した事実などがあつて、原告と被告との婚姻は相当融和を欠いていることはこれを認めざるを得ないけれども、そもそも原告と被告の関係がこのような状態に陥つているのは概ね原告の一方的な意思及び行為に基くものであり、又被告の行為に誘発せられた結果によるものであるから、かかる原告の立場からして右事実を以つてして被告との離婚を求めるが如きことは法の認容せざるところと解すべきである。

よつて原告の本訴請求はその理由がないからその他の点の判断を要せずこれを失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中宗雄)

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